21 April 2016

肉体の死と永遠の魂


ヘルメス思想の人生観は、「この地上の万象万物がtransitoryであり、 impermanentである」というものです。 これは、仏教の生老病死や諸行無常の教えととても似ていて、「この世のimpermanentなものの中に、 permanentなものを発見する」ことがこの世での大切な魂修行であるという考え方です。
"The Hermetica"の中から、「DeathとImmortality」について語られている部分の一部を訳してみました。 「亡くなった人の心の性質によってそれぞれに合った(波長が同じ)世界に行く。清らかで善なる魂だけが天上界へ行ける」という思想は、古代エジプト時代には、すでに文書として書き記されていたんですね。この思想は、「キリスト教徒だけが天国に行ける」という思想がヨーロッパを中心に広がる中、異端で危険な思想とされましたが、それでも砂漠の下を流れている地下水のように絶えることなく流れ続け、人々の心を潤してきました。


肉体の死と永遠の魂

生成の終わりが破壊のはじまり。
破壊の終わりが生成のはじまり。

地球上の万物は必ず破壊される。
破壊なしで創造はなし。
新しいものは古いものから生まれる。

人間にとって、時間は破壊者。
しかし、宇宙にとっては
時間は永遠に回転し続ける輪のようなもの。

物質的な形態は
現れては消えていく幻。
変化し続ける存在を、‘実在’と呼べるのか?

しかし、このはかない幻の存在は
目に見えない永遠なる実在から生まれる。

この世に生まれるということは、生命の始まりではなく
個別の意識の始まりにすぎない。

別な状態に変化することは死ではなく
その個別の意識の終わりにすぎない。

この真理を知る者は少なく、
死があらゆる悪の中で最も恐れるべきものだと信じる者は多い。

しかし死は
使い古した肉体の分解にしか過ぎないのだ。

この世での使命を果たし終わったものは、物質的な束縛から解放され、
心が浄化されて本来の神性を取り戻す。

肉体を脱ぎ捨てた後、
心はあらゆるこの世的な穢れから解き放たれて
本来の神々しい輝きを取り戻すのだ。

肉体を脱ぎ捨てて幽体をまとった魂は、
その人生の行いや思いに応じて
裁かれ、罰せられることになる。

魂は皆同じところへ行くわけでなく
無原則にあちこちに行くわけでもない。
それぞれの魂は
それぞれの性質に合った世界へ行くのだ。

善なる魂のみが
精神性が高く聖なる性質をもつ。
誰も傷つけたことなく
創造主を信じた魂は、
肉体を脱ぎ捨てた後に
光の体に宿る霊となって創造主に仕える。

人間の体が分解されるとき
まず物質的肉体が変化して見えなくなる。

活力エネルギーは大気に取り込まれ
肉体的感覚は宇宙に還り
新しく組み替えられて
別な用途に使われる。

そして魂は天の階層を登っていく。
第1層では、成長と腐敗から解放され、
第2層では、邪悪さやズルさ
第3層では、色欲と人間を惑わす欲望
第4層では、傲慢
第5層では、極端なずうずうしさや軽率
第6層では、貪りの心
第7層では、嘘・だまし・偽り
から解き放たれる

これら全てから解き放たれた魂は
本来の霊的力が蘇り
第8層へと昇っていく。
迎えの者たちと共に喜びあい、
天なる父への賛美歌を歌いながら。

第8層より上層世界にいる神々は
褒め讃えながら、それぞれの魂に呼びかける。
「神々にすべてを任せ、創造主と一体となり、自らが神となりなさい」

これが最高の善なり。
これが真なる智慧の極致なり。

不滅の魂に目覚め、自らも神となった魂は、
自らの魂の輝かしい勝利を
神々と共に踊り、歌い祝う。

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