夕べ、アメブロの記事に「富士山はSacred Mountain」と書いた際に、つけていたTVで伊勢志摩サミットのために英語の勉強をしている生徒さんのインタビューをしていました。
テレビを観ていたわけではなくて、なんとなくつけていただけでブログを書くのに集中していたので、テレビで何をやっているかも全然意識してなかったんですけど、頭の中で「Sacredについて何を書こうかな・・・」と考えていたら、突然テレビから“Sacred”と言う英語が聞こえてきたんです。
ちょうど、「伊勢神宮が神聖な場所である」と英語で説明する練習をしていて、「Sacred=神聖な」みたいな文字が画面に出てビックリ! 正確には覚えてないですけど、”Ise is a sacred place"か、何かそれに似たような英文を練習していました。
というわけで、新たな疑問が!
こういうのって、単なるCoincidenceなんでしょうか? それともSynchronicityでしょうか?
皆さんは、どちらだと思われますか?
26 May 2016
16 May 2016
臨床催眠療法とは?
オーストラリアではHypnotherapistとしてちゃんとした資格を持っている人は、たいていの場合、政府から認められている催眠療法協会に所属しているのですが、催眠療法協会のメンバー資格を維持するためには、毎年20時間以上のSupervisionを受けなくてはならない、20時間以上技術・知識向上のための研修を受けなくてはならない、などの厳しい規定があります。
日本で「ヒプノセラピー」と言うと、「前世療法」などが有名で、ちょっと怪しいものであるかのように思っておられる人が多いようですが、オーストラリアでは、Clinical Hypnotherapistという職業が認められており、スピリチュアルではない人も、精神的・身体的な悩みや問題の解決のためにClinical Hypnotherapistを訪れます。
私の通った学校には、先生が3人いたのですが、そのうちの一人は自分で自分がAtheistだと言っていました。長年Forensic Scientistだった後にHypnotherapistになった人なので、「すべては科学で説明できる」、「催眠療法施術中にクライアントが経験するあらゆる現象はすべて脳の科学的な反応によるものだ」と固く信じていました。
その先生に、退行催眠の際に前世の場面を思い出すことがあることに関してどう解釈するか訊ねてみたら、「クライアントさん自身のRealityなので、その人が前世だと信じるなら、それはそれでいい。自分がそう信じるかどうかは関係ない。前世だと本人が理解してそれで悩みが解決するならそれでいいんだから」と言っていました。
オーストラリアの臨床催眠療法士の場合、セラピストがスピリチュアルな人であっても、スピリチュアルな発言を避けなければプロフェッショナルとして認められないのが現状です。政府の認定を受け、信用されるためには、どうしてもそうなってしまうのでしょう・・・
7 May 2016
あなたはどちらの生き方?
アルバート・アインシュタインが、
There are only two ways to live your life.
と言ったそうです。
ひとつは、“as though nothing is a miracle”という生き方で、もう一つは、
”as though everything is a miracle”という生き方。
人間の生き方には、二通りしかない、というのは、極端な言い方のようでもありますが、宇宙の神秘を物理学的に解明しようとしていたアインシュタインだからこそ、そのように感じていたかもしれません。
そもそも、Miracleって何?ということですが、Dictionary.comでは、このように説明しています。
1.
an effect or extraordinary event in the physical world that surpasses all known human or natural powers and is ascribed to a supernatural cause.
2.
such an effect or event manifesting or considered as a work of God.
「人間の力や自然の力では起こりえない超自然的な現象や出来事」というような意味ですが、先進国のインテリ層には、「この世にはMiracleなどない。すべては科学で説明できる」というような生き方をしている人たちが本当に多いですね。
世界的に見れば、ほとんどの人は、「ときどき、奇跡を感じる」「自分が奇跡だと思う体験をしたときだけ人間知を超えるものの存在を信じる」というような生き方をしているのではないかと思いますが、そういう私たちに対して、「この世のありとあらゆる現象のすべてがMiracle」だと感じながら毎日生きているかどうか、ということをアインシュタインが問いかけているのではないでしょうか?
世界的に見れば、ほとんどの人は、「ときどき、奇跡を感じる」「自分が奇跡だと思う体験をしたときだけ人間知を超えるものの存在を信じる」というような生き方をしているのではないかと思いますが、そういう私たちに対して、「この世のありとあらゆる現象のすべてがMiracle」だと感じながら毎日生きているかどうか、ということをアインシュタインが問いかけているのではないでしょうか?
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